岩手医大の曽根先生、赤羽先生に案内して頂き、JCRの山田理事、渡邉理事が一緒でした。
盛岡から宮古経由で山田、大槌と向かい、大槌では仮設診療所を訪問しました。
その後、釜石経由で盛岡まで戻るおよそ300キロの長距離ドライブ、
ずっと運転して下さった赤羽先生に感謝です。
予想していたより瓦礫の撤去は進んでおり、元からこの地には何も無かったかのような
錯覚を覚えそうになりました。大槌病院前の通りに入った時に赤羽先生から
「ここは赤提灯が並ぶような通りだったんです。」と聞いて、ようやく実感が湧きました。
県立大槌病院の様子です。
壊れた壁、曲がった鉄柵、津波の威力に驚くばかりです。
その後、仮設診療所に向かいました。
技師長さんが日曜日にも関わらず、案内して下さいました。中央の方が技師長さんです。
受付の背面には紙カルテが並びます。全て新しいカルテで、病歴の記載が大変だったとか。
今後の継続性を考えるとクラウド型の電子カルテ導入が望まれます。
勿論、先生方は大変なので、クラークさんも必要です。
放射線装置はポータブルのX線装置のみ。
やはりこれだけでは不十分だとか。
超音波装置は何故か5台。
ポータブル型の物も含め小型の装置ばかりですが、ちょっと場所を取っていました。
なぜか内視鏡も沢山寄贈されており、箱に入ったまま積まれていました。
技師長さんはまずは透視装置が欲しいとの事でしたが、CTも希望されていました。
隣町まで検査を受けに行くのはこの地では大変です。お年寄りなら尚更です。
町に1台は導入すべきでしょう。
最終の新幹線で東京へ帰る途中、外の灯りを見ながら、赤羽先生に聞いた大槌病院前の
赤提灯の並んでいた通りのことを思い出しました。今はもう何もありませんが、
あの日まではいろんな酔っ払いが行き来していたはずです。病院で働く人、町役場の職員、
商店主、ちょっと気性の荒い漁師達、そのような雑多な人達(でも小さな町なので意外と
顔見知りだったりする)が疲れを癒しに集まってくる場所だったのだろうと想像します。
このようなところには必ず町の顔役達が集まる店があり、意外とそのような場所で町の
将来が語られたりするものです。一日も早く赤提灯が復活し、酒を飲みながらどんな町を
子供達に残そうかと語られる日が訪れることを願います。
